東京の下町荒川を拠点とする器具設計製造会社

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e-mail info@mihamagiken.co.jp
  昭和30年代当時の広告
 45年ぶりの再会。手触りを確かめる。
 懐かしい動作音に耳を傾ける。
 記憶の底をファインダーごしに覗きこむ。

 

 

 ミハマ技研の杉江兄弟が尊敬するもの作りの師匠、それは間違いなく先代であり実父の吉三(きちぞう)である。吉三は明治34年、静岡県賀茂郡三浜村子浦(現静岡県南伊豆町子浦)に生まれた。幼少の頃より器用な子どもだったが、少年時代に木から落ちて足を不自由にし、素潜りで鼓膜を破り難聴になるなど、早くからハンディキャップを背負った人生となった。 

 小学校を卒業すると、東京の飾り職人に弟子入りした。雛人形やたんすの飾り金具を作る仕事であった。吉三はもちまえの好奇心と器用さであっというまに熟達し、それだけではあきたらず、当時最新技術であったプレス加工にも手を伸ばした。数年後には独立して自動車部品をつくるところまで習熟してしまった。

 吉三のプレス技術には挿話が多い。指の腹で部品をなでながら微細な寸法を読み取ったり、機械の音と振動だけで、品物のできぐあいを判断したりした。伝説の職人のひとりであった。

 ある日、吉三のもとにカメラメーカーから部品の注文が来た。腕を見込まれての難しい部品の注文であった。吉三は細心の注意と大胆な手さばきで見事仕事をこなし、以後カメラの部品製造が自動車のそれと逆転することになる。

 吉三の好奇心は底知れぬものがあった。未知のものへの衝動は激しく、カメラの部品を作りながらも、自分の中にある形が生まれつつあることを実感した。それは初めて胎動を経験した妊婦のようだった。吉三は想像力のなかでその形を変形させ、動かし、向きを変え、分解し、再構成し、構造のハーモニーを鳴り響かせた。そしてある日、それがオリジナルなカメラであることに気づいた。

 三浜精工株式会社は、吉三がカメラを作るためにこしらえた会社であった。数人の職人とともに寝食を忘れて開発に没頭し、数年後誕生したカメラがミハマシックスだった。蛇腹式の無骨なデザイン、ワンタッチ式のレンズ収納メカニズム。当時、輸入カメラを含め多くの洗練されたカメラが発売されていたが、ミハマシックスは、長所短所をすべてあわせても、下町職人である吉三彼自身の投影図であった。

 ミハマシックスの成功で大きく発展した三浜精工は、その後も改良版を発売し、順調に成長するかに見えた。しかし、いくつかの経済的不運から事業の継続を困難とされ倒産を余儀なくされた。

 現在のミハマ技研と当時の三浜精工は企業としての連続性はない。しかし、息子である現社長の良弘と開発設計の秀一が昭和60年に会社を立ち上げたとき、吉三のもの作りへのスピリットを受け継ごうと社名にミハマの文字を入れた。

 以上が吉三とミハマシックスのささやかな物語である。某日、絵本の編集者でクラシックカメラに造詣の深い澤田精一氏より、ミハマシックスが和歌山市のクラッシクカメラ販売店「石垣商事」にあることがわかる。澤田氏の好意でカメラを取り寄せていただき、45年ぶりに祖父吉三の作りあげたミハマシックスが帰郷することになった。

 今でこそカメラの仕事はしていないが、ミハマ技研のスピリットは、まさにミハマシックスからはじまっている。製造への情熱、もの作りの遺伝子は、祖父へのノスタルジーとともにこのカメラに結像・定着されているのは間違いない。